History
- 史上最強への旅 -
出会い

ゴルフは生涯スポーツ。アニカは、さまざまな偉業を成し遂げるたびに、「私の旅―」と表現しています。近代の女子ゴルフ界にとどまらず、世界のスポーツ界に衝撃と革命をもたらした、唯一無二の存在でしょう。
1970年、スウェーデン・ストックホルム近郊で生まれた。93年プロへ転向し、ヨーロピアン女子ツアーの新人賞。94年はLPGAツアーへ本格参戦。ここでも、新人賞に輝いています。上昇気流に乗ったのは95年。全米女子オープンで優勝、初のメジャータイトルを獲得しました。さらに、シーズンでの勢いは止まりません。賞金ランキング1位、ベアトロフィー(年間平均ストローク最少選手に贈られる)も受賞しました。翌96年も、全米女子オープンで連覇を果たし、キャリア通算でメジャー10勝を含む、LPGAツアーで通算72勝をあげています。また、計8度の賞金女王、年間最多勝、年間平均最少ストロークに輝きました。
LPGAツアーでの通算最多勝利は1962-85年にかけてのキャシー・ウィットワースの88勝。歴代2位は1956-73年に活躍した、通算82勝のミッキー・ライト。アニカは歴代3位です。しかし、ウィットワースはメジャーで6勝のみ。ライトはメジャー13勝をあげたほか、芸術的なスイングでゴルフの教科書と呼ばれた伝説的な選手でしたが、当時の女子ゴルフはマイナー競技で試合数が少なく、スタイルなど、現代とは時代背景が異なっています。
そうしたことを考慮すると、試合数が増加した近代ゴルフ界において、世界中で安定的に勝ち続けたアニカが史上最強と考える人も多いのではないでしょうか。LPGAツアー以外でも、ヨーロピアン女子ツアー、JLPGAツアーなどの国際大会で9勝をあげた他、コロナ禍後の21年、50歳で出場権を得た全米シニア女子オープンでは、2位に8打差をつける圧勝で久々の優勝を飾る等、世界での通算優勝回数は96勝にも及んでいます。また、03年には、世界ゴルフ殿堂入りの100人目となりました。

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ミス59
21世紀を迎えた2001年から、LPGAツアーは今日のように競争がより激しくなりました。その年の3月16日、スタンダード・レジスター・ピン第2Rで、59という女子では史上初となるスコアをアニカがマークしました。6459ヤードのムーン・バレーCCで、すべてのホールでパーオンに成功し、ノーボギーの13バーディーをマーク。ちなみにパット数は25でした。現在でも、女子選手が50台のスコアでプレーしたのは、この一度だけです。男子も含め、50台のスコアを出すことは、ゴルファーの夢といわれています。
ベストシーズン
02年は、アニカにとって生涯のベストシーズンといっていいでしょう。年間11勝の金字塔を打ち立て、年間平均ストロークが68.7という驚異的な記録を達成しています。LPGAツアーでは獲得賞金以上に、年間平均ストロークが重要視されていますが、アニカは98年に女子選手として史上初めて、年間平均ストロークで70のカベを破りました。04年もスコア68台をマークするなど、高い壁を何度も乗り越えています。
そして、黄金時代といえば01年からの5シーズン。この間にLPGAツアーで計43勝をあげました。ただし、アニカだけがツアーで傑出していたわけではありません。カリー・ウェブなど世界中から、幾多のライバルが存在。にもかかわらず、5年間でトップ3フィニッシュが7割と、信じられない安定感を示し、質と記録の両立を果たした絶対女王になったのです。
同一大会V5
日 本のゴルフファンが忘れられないのは01年から、アニカが日本で開催されたミズノクラシックを5連覇したことでしょう。LPGAツアーで史上最長の同一大会連続優勝記録です。特にV5がかかった05年大会は最終日、1打差を追う大接戦。64の猛チャージでファンを熱狂させました。

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58年ぶりの偉業
アニカの偉大な足跡として称賛されることの一つに、男子PGAツアー出場があります。1932年ロサンゼルスオリンピック陸上競技で、2つの金メダル、ひとつの銀メダルを獲得し、後にゴルフに転身した異色のアスリート、ベーブ・ディドリクソン・ザハリアス以来の快挙です。
世界が注目した、58年ぶりの男子ツアー挑戦は03年のバンク・オブ・アメリカ・コロニアル。スポーツ界のビッグイベントになりました。結果は71、74で予選落ち。しかし、堂々と戦い、自身のスタイルを貫いたチャレンジ精神が世界から称賛され、歴史的な偉業のひとつとされています。ベストをつくした証は、計2Rのショットに裏打ちされました。メンバーでナンバーワンの精度を誇った、伝説の1ページとなったのです。

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余談ですが、2021年1月7日、アニカは、ゲーリー・プレーヤーとともに、ドナルド・トランプ大統領から大統領自由勲章をホワイトハウスで授与されました。国家や世界平和、文化・公共活動などにおいて、大いに貢献した者に送られる、最も権威ある民間人向けの栄誉です。過去には、アーノルド・パーマー、ジャック・ニクラウス、タイガー・ウッズなどの名選手に続き、ゴルフ界から選出された数少ない受賞者になりました。
この式典では、56年に亡くなったザハリアスも、死後65年以上を経て、女性スポーツの歴史を切り開いた功績により、大統領自由勲章を授かっています。
セカンドキャリア
2008年シーズン中盤。アニカは突然、08年限りでの現役引退を発表しました。最終戦はヨーロピアン女子ツアーのドバイレディスマスターズ。第2日、首位に立ったものの、結果は7位タイ。引退時のワールドランキングは3位。13年間連続での年間複数回優勝を更新中している最中で、誰もがまだやれると信じている中、第一線から退いたのです。体力や成績が落ちてからではなく、自らの意思でツアーを去ったことが、伝説としての地位をより強固にしたといっていいでしょう。アニカの活躍で女子ゴルフの人気が、世界的に飛躍したことは間違いありません。
もっともアニカは、新たな挑戦を描いていました。以前から、女子アスリートのセカンドキャリアが話題にあがっており、もっと人生を楽しむ、新しいステージで活躍するためには今しかない-と判断したのです。
家族とともに、アニカブランドのビジネスに専念しました。アパレル、コースデザイン、アニカアカデミーゴルフスクールの運営など、多岐にわたる事業を展開します。従来、これらの事業は男子ゴルフのスーパースターのセカンドキャリアです。女子選手の成功はあまり耳にしたことはありません。ところが、コースデザイン設計のオファーが多く、ゴルフスクールには全世界から才能あるアマチュアが、プロを目指す重要なステップとして入学しています。今年の全米女子オープンを制した、スウェーデンのマヤ・スターク選手はアニカアカデミーの出身。現役時代同様に、あらゆることに全力で取り組み、成功をおさめているのです。
一方、ビジネスだけではなく、07年にANNIKA Foundationを設立し、ジュニア、大学、プロの各レベルで女子ゴルフの普及拡大、次代の選手育成、リーダーシップ、社会貢献などのプログラムを整え、支援を行っています。さらには、ジャック・ニクラウスとともに国際ゴルフ連盟のグローバルアンバサダーに任命されました。16年、リオデジャネイロオリンピックでゴルフ競技が復活する原動力になったことも忘れてはなりません。21年からは国際ゴルフ連盟の会長に就任。3期目に入りました。
アニカは、ただの勝者ではありません。女子ゴルフの在り方を大きく変え、これからも変え続ける存在です。女子アスリートのロールモデルにもなりました。それが史上最強と評される最大の理由でしょう。

